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ポケモンSV藍の円盤の考察!スグリと手持ちポケモンについて考えてみた

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この記事は「ゼロの秘宝」のネタバレが盛大に含まれます!

閲覧ありがとうございます。主婦のはつがカエデです。

ポケモンは赤→金→ソード→アルセウス→バイオレットとプレイしてきました。

DLC前作「碧の仮面」もクリア済です。

藍の円盤は「ゼイユとスグリの成長物語」が描かれていてよかったですよね。

とくにスグリの「劣等感」と「見失った自分らしさ」がどう変化していくのか。

あなたもゼイユのようにハラハラしながら見ていたのではないでしょうか。

この記事では「藍の円盤」のゼイユ・スグリ姉弟に焦点を当てて、

姉弟の手持ちポケモンの「意味」も考察しつつ、

「このゲームは私たちに何を伝えたかったのか」について考察していきたいと思います。

碧の仮面の姉弟・スグリが闇堕ちした理由

以前「碧の仮面」の考察記事で話した内容を簡単にまとめると、

ゼイユは自分に(謎の)自信があり、スグリに対しても優越感があったのに対し、

スグリは自分に自信がなく「姉ちゃんの方が強い」と劣等感を抱いていました。

今回この『劣等感』がDLCの大きなテーマだったのかなと感じました。

自信がない、いつも不安そうなスグリをみて、ゼイユは「弱い弟を守らなければ」と、

思っていたのかもしれません。

ゼイユの碧の仮面3戦目では「ハハコモリ」を手持ちポケモンを加えており、

ポケモン図鑑の説明には「温厚で庇護欲が強い(スカーレット)」とあるので、

スグリを守らなければという気持ちが強かったのでしょう。

ただそれが「保護と言う名の支配(上下関係)」を生み出していると自覚していなかった。

スグリは「姉に守られている、バトルでも弱い自分」の事を嫌っていました。

ゼイユと比べて自分はバトルも弱いし、いつまでも姉の後ろについて回っている…。

そんな自分は嫌だ、でもそんな自分を変える自信もない(支配から抜け出せない)…。

そんな葛藤や生きづらさを、誰にも言えずに、独りで抱えていたのかもしれません。

誰にもわかってもらえない「孤独」を、オーガポンに重ね合わせていました。

ですが主人公の登場で「自分も主人公のように強くなりたい」と憧れるようになり、

碧の仮面2戦目では、手持ちに「ニョロゾ」3戦目では「ニョロボン」を加えてきます。

「姉に守られている自分から成長したい、変化したい」という暗示なのかもしれません。

さらに4戦目では「ウッウ」を手持ちポケモンに加えてきます。

そういえば剣盾のライバルのホップも、自分の目指す目標を見失った時、

手持ちポケモンにウッウがいたなと思いました。

「何かにつっかえている、何かに苦しんでいる」そんな暗示なのかもしれません。

ですが祖父とゼイユと主人公が「自分に隠し事」をしようとした。

しかも主人公は「本当のことを言ってくれなかった」。

このことで、スグリは主人公に「裏切られた気持ち」になります。

「主人公はこの気持ち分かってくれると思ってたのに…」という期待からの裏切りです。

やっぱり、自分の気持ちをわかってくれるのはオーガポンだけだ。

スグリはオーガポンのために「ともっこと鬼の昔話の真実」を、

里中を駆け回り、人と話すのが苦手なのに、里の人を必死に説得しました。

スグリの努力が実り、里の皆はオーガポンを受け入れるようになりました。

ですがその努力は報われず、オーガポンは主人公のポケモンとなります。

「こんなにも頑張ったのに、主人公に大事な物を奪われてしまった」という気持ちが、

「やっぱり自分が弱いからだ!主人公のようになれば何でも得られるんだ」と誤解を生み

最終的にゼイユや主人公にも心を閉ざし、会えないまま前編は終わってしまいました。

闇落ちしたのは「すべては力が解決する」と誤解した結果なんですよね。

たしかにスグリがちょっと可哀そうに見えますが、

オーガポン視点からすると「いきなり踏み込んでくる怖い存在」だったと思います。

ポケモンSV碧の仮面考察!スグリはかわいそうなのか? この記事は「ゼロの秘宝」のネタバレが盛大に含まれます! 閲覧ありがとうございます。主婦のはつがカエデです。 ポケモンは...

藍の円盤での姉弟・スグリの執着が怖い

藍の円盤では、スグリは別人のようになっていました。

持ち前の「努力」で、ブルベリーグチャンピオンへ上り詰めました。

ですが、自分よりバトルの弱い者に対して「見下す態度」をとるようになっています。

『だったら一生弱い奴のままでいたら?』『代わりに書いてやるよ…退部届け』

ゼイユとは「ブルーベリー学園に帰ってきてからほぼ言葉を交わしていない」状態で、

スグリは寝る間も惜しんで、バトルで強くなることに必死になっている事を知ります。

スグリは自分の心身を犠牲にしてでも「主人公に勝つこと」に執着しているんですよね。

「オーガポン」への執着が、「主人公を負かす事」への執着に変化しています。

誰も寄せ付けず、たった一人で、自分を責めたてるように頑張り続けるスグリを心配し、

ゼイユは主人公に「スグリと友達でいてあげて欲しい」と助けを求めます。

藍の円盤のゼイユの手持ちはハハコモリが抜け「ズルズキン」に変わっています。

ズルズキンの図鑑説明には「粗暴だが自分の家族をとても大切にしている(バイオレット)」とあるので、

何かに苦しんでいるスグリを何とかしてあげたい、と言う気持ちの表れだと思われます。

ただ「スグリがあんな風になったのは、自分にも何か原因がある」という気持ちもあり、

スグリに対してどう接したらいいのかわからなくなっている様子。

一方スグリは、主人公がブルーベリー学園に留学してきたことに驚きますが、

その後も主人公が「誰にも負けていないか」と、何度も様子をうかがいに来ます。

「主人公に勝つのは俺でなければならない」そんな執念を感じます。正直怖いです。

さらに「主人公を利用して何かを企んでいる」カキツバタに対しても警戒している様子。

スグリがなぜこんなにも「主人公に勝つこと」にこだわるのか考えてみましたが、

やはり「オーガポンを奪われたこと」が大きかったのだと思います。

オーガポンを奪われたことで、スグリにとって「大切な何か」も奪われてしまった。

その「何か」はわからないけども、それを取り返さなければならない。

だからこそ主人公に勝ち「それを奪い返したい」と思っているのでしょう。

カエデ

スグリ戦でオーガポンを出すと「よくも鬼様を出せたな!」と怒ってきます。

「負けた過去の自分」を見せつけられた気がしたんでしょうね。

スグリのせいでリーグ部の雰囲気が悪くなる

四天王のアカマツは「何かよく分からないけど今のリーグ部は居心地が悪い」と言います。

スグリがリーグ部の部長になったことで、雰囲気が悪くなってしまいました。

というのも、スグリは「バトルで強い者は価値がある(弱い者は価値がない)」という、

バトルの勝敗は「力の上下関係を決める」という考えを持っており、

結果を出せない部員に対して「もう来なくていい」と上から目線で接するんですよね。

スグリが持っている「バトルに負けたら弱者である」という考えは、

「バトルで勝たないといけない(結果を出さないといけない)」雰囲気を作り出し、

「楽しむ」という目的から「勝つ(結果を出す)」と言う目的に変わってしまったため、

リーグ部の雰囲気が悪くなってしまったのだと思われます。

以前のリーグ部をまとめていた、チャンピオンのカキツバタは、

「ゆるくいこう、楽しもう」という感じでしたし、部長にもなりたがりませんでした。

「勝っても負けてもいい。バトルも安心して楽しめる」から居心地がよかったのでしょう。

優しいタロとネリネ

ネリネはゼイユと友達で、キタカミの里時代のスグリも知っています。

なのでスグリが変わってしまったことに対して、どうにかしてあげたいと思っています。

責任感が強くて真面目で、困っている人を放っておけない優しい性格なんですよね。

最初は「スグリの事が好きなのかな」と思ったのですが、

人間観察に長けている(と思われる)カキツバタが言うには、

「見た目で誤解されがちだけど繊細なんだよ」と言うように、

ゼイユの悩みやスグリの抱える苦しみを「まるで自分のこと」のようにとらえてしまい

姉と弟の課題(乗り越えるべき問題)を自分の課題にしてしまった。

つまり「自分が何とかしてあげたい」という気持ちでいっぱいだったのでしょう。

なので主人公に負けた時も「自分では助けてあげられないのですね」と言います。

ですが「そんなことないよ!」と返すと「主人公は優しいのですね」と返ってきます。

人の気持ちに寄り添ってあげられる、とても優しい子なんだなって思いました。

タロもネリネと同じく優しい子なのですが、タロは、

「スグリに何か事情があったのは分かるが、あえて踏み込まない」

リーグ部の一員として、いつも通り接することを貫いており、

自分と他人との境界線をひけている、しっかりした子なんだなって思いました。

気持ちを察して「他人の課題に踏み込んでしまう」ネリネと、

見守ってはいるけど「他人の課題は他人のものである」と切り分けられるタロ。

どっちも優しいんですけど、優しさの種類が違いますね。

「何かに取り憑かれてる」ようなスグリ

この記事を読んでいるあなたなら、当然結果は知っていると思いますが、

寝る間も惜しんで努力して勝ち取ったブルベリーグのチャンピオンの座を、主人公に奪われてしまいます。

スグリもその事態を受け入れられない様子でした。

藍の円盤のスグリ戦では、碧の仮面の「ニョロボン」が「ニョロトノ」に進化しており、

バイオレットの図鑑説明には「ニョロモや ニョロゾの リーダー。

 ニョロトノが 一喝 すると 皆 怯えて その場に 伏せる」とあるように、

まるで「殿様」のような気持ちで、チャンピオンの座に君臨していたのでしょう。

ですが手持ちに「ポリゴンZ」も加えています。図鑑の説明文を見てみると、

「さらに 優れた ポケモンを 目指し 追加した プログラムに 不具合が あったらしく 動きが おかしい。」とあるんですよね。

誰が見てもわかりますが、今のスグリは「おかしい」んですよね。

そしてあれだけ努力したのに、やっぱり主人公が勝ってしまう。

主人公との力の差を見せつけられ、言葉を失うスグリ。

そこにとどめを刺すような、モブ達のこんなセリフが飛んできます。

『なーんだ負けちゃったのかよ、行こうぜ…』と去っていく生徒たち。

スグリの事情も努力も知らず「エンタメとして楽しんでいた」ような発言です。

その様子を見たスグリは「こんなはずじゃ…」といって、ひざから崩れ落ちてしまいます。

努力して主人公のように強くなった、皆も認めてくれるようになった。

でもチャンピオンじゃなくなったら、皆自分の元から去って行った。

主人公のように強くなったのに、なぜ…?

スグリは訳が分からなくなり、意識がもうろうとしてきます。

これでは「また誰にも認められない自分に戻ってしまう」

以前の「無力で、誰にも理解されない、孤独な自分」に戻ってしまう…。

そんな時、ブライア先生から伝説のポケモン「ゼロの秘宝のテラパゴス」の話を聞きます。

スグリは「伝説のポケモンがあれば主人公に勝てるかもしれない」と考えます。

最後まで「主人公に勝つこと」にこだわり、どうしてもあきらめきれないんですよね。

まるで「何かにとりつかれた」かのように、自分というものがありません。

テラパゴス戦で過去に戻ろうとするスグリ

主人公に勝つために、テラパゴスをマスターボールで捕まえるスグリ。

ですがテラパゴスでバトルをしても、主人公に勝てません。

「伝説のポケモンを捕まえたら、主人公に勝てるはずじゃ…」とぼうぜん。

ブライア先生の(余計な)一言で、テラパゴスをテラスタル化させてしまい、

テラパゴス(ステラフォルム)へ変化させてしまいます。

様子がおかしい様子に、ゼイユからボールへ戻すように指示されますが、

スグリのマスタボールは、テラパゴスのパワーに負けて壊れてしまいます。

圧倒的な力を前に、スグリは過去の自分へと戻ろうとします。

「何もできない、弱くて無力な自分」キタカミの里時代のスグリです。

ゼイユに促されても「俺には無理だ…」と言ってバトルに参加したがりません。

ですが主人公の「スグリ!(一緒に!)」の一言で、目が覚めたスグリは、

目に光を宿して、主人公と共にカミツオロチで戦うことを決意します。

「姉に守られて、何もできない無力な」キタカミの里時代のスグリでもない、

「誰よりも強くなることにこだわり、孤独に戦う」ブルーベリー学園のスグリでもない、

「主人公と対等な関係で、一緒に協力して戦う」新たなスグリに生まれ変わるんですよね。

「もう一度ゼロから」スグリの最後

テラパゴスを何とか捕獲した主人公たちは、ブルーベリー学園へ戻ってきます。

学園へと帰る途中、スグリに呼び止められる主人公。

スグリは主人公に今までの事を謝り、

勇気を出して「ゼロからやり直したい…もう一度友達になってくれる?」と言います。

その時スグリの背景には「夜明けになる瞬間」が映し出されるんですよね。

「受け身で友達になる」のでもなく「力を見せつけて屈服させる」のでもない、

「対等な友達として付き合いたい」その気持ちが現れていたなって思いました。

また「人は失敗しても、ゼロからやり直せる」そんなメッセージもあったんだと思います。

「ゼロの秘宝」はテラパゴスの事を指しているのもありますが、

スグリにとっては「色々あったけど、ゼロに戻って、主人公とまた友達になりたい」

という「ゼロ」には2つの意味があったんだろうなと思って、

今回のシナリオは本当によくできているなって感動しました。

前編後編とおしてスグリの考察

ゼイユとスグリ姉弟のストーリーから、ポケモンがプレイヤーに何を伝えたかったのか。

それはこの4つだと思います。

  1. 劣等感は自己否定につながる
  2. 他人軸で生きると「自分がなくなる」
  3. 勝負は「勝ち負け」ではなく「楽しむ」もの
  4. 「成果主義」の学校への風刺

①劣等感は自己否定につながる

ゼイユは自分に自信があり、例え勝負に負けても悔しがるだけで、

主人公に憧れたり、嫉妬したりすることはありませんでした。

「主人公に負けても自分は自分(価値は変わらない)」と思っていたからです。

ですがスグリはそうじゃなかった。憧れもしたし、嫉妬もしました。

その理由は「自分は誰よりも劣っている」という劣等感を抱えていたからです。

だからこそ主人公がまぶしく、そして「そうなれない自分」に嫌気が指していました。

自分の事が嫌いだったんですね。負けるたびに自己否定に陥って行きました。

ストーリー上では、スグリにはこんな良い所も描かれていました。

  • 目標に向かってコツコツ努力できる(学園のチャンピオンになれました)
  • 負けず嫌いである(何度負けても主人公に挑んでくる)
  • 他人を思いやれる優しさ(よそ者の主人公に優しく接してくれました)
  • 行動できる勇気(オーガポンのために里中のひとを説得しに行きました)
  • 素直なところ(間違ったことをしていたら素直に謝れました)

スグリにもたくさん「自信を持っていい」部分がたくさんあったんですよね。

ですがその「自分の良い所」も、自分の事が嫌いなせいで見えなくなっており、

「主人公のようになれば、自分の事を好きになれる」と誤解してしまいます。

人間「他人」にはなれません。なので間違った努力をし続けてしまうんですよね。

スグリの持つ自己否定「自分であってはいけない」と言うのはとても苦しい感情です。

②他人軸で生きると「自分がなくなる」

スグリは「自分に自信がない」つまり「自分の価値が自分でわかってない」状態でした。

なので元々「自分がない」状態でした。

オーガポンにあれだけ執着したのも

「オーガポンの事を自分が一番わかっている」事を自分らしさと勘違いしていたから。

「自分が~したい」という気持ちより「オーガポンに認められたい」気持ちが強かった。

オーガポンと一緒に住みたい、と本気で考えていたほどです。依存状態なんですよね。

これは自分の人生を生きていない(他人軸で生きている)ことと同じです。

しかもオーガポンが「スグリと同じ気持ちでなかった」から悲劇が起きました。

一方的にどれだけ強く想っていても、その想いが相手に届くとは限らないんですよね。

そして後編では「チャンピオンである自分が認められている」事に酔っていました。

これで自分は他者に認められている。自分は価値ある存在だと思い込んでいました。

ですがチャンピオンでなくなった瞬間、生徒が散り散りに去って行ったように、

他者は「その本人」ではなく「その本人が持つ権力」しか見てなかったんですよね。

つまり「権力」がなくなったとき、その人は「自分らしさ」を見失うことになります。

スグリは「オーガポン」「チャンピオン」2回とも失う体験をしました。

つまり自分らしさを他人に求めるのはとても危険な事なんですよね。

③勝負は「勝ち負け」ではなく「楽しむ」もの

「劣等感」は「誰かが勝者で、誰かが敗者」という構図を生み出します。

すると縦の関係(力による支配)を生み出してしまいます。

そうなるとアカマツが「今のリーグ部は居心地が悪い」と言っていたように、

息苦しい「上下の関係(支配関係)」が生まれてしまいます。

しかもスグリ(リーグ部部長)は「結果を出さないと退部させる」と言う。

自分の居場所を失わないためには、バトルしなければならない。

バトルが「楽しい」ものから「結果を出さないといけないもの」という、

追い立てられるような気持ちに変わってしまい、バトルが辛いものとなります。

そりゃアカマツが言ってたように、居心地も悪くなりますよね。

でも主人公がスグリに勝った後、カキツバタがこう言います。

「楽しくいこうや。バトルで誰でも勝ちたいと思う。それは誰でもそうだ。

でも勝ちにこだわりすぎて、自分の首を絞めるのは違う。見ているこっちが苦しい」

戦い(バトル)で大切なのは「楽しむこと」なんですよね。結果じゃない。

勝負は必ず「勝者」と「敗者」が生まれますが、

勝敗が「その人の価値」につながるわけじゃない。負けてもその人の価値は変わらない。

だから「気軽に楽しもう」くらいの気持ちがちょうどいいのだと思いました。

カエデ

勝っても負けても「ポケモンはカワイイ」を追求するタロが良いお手本ですね。

カキツバタは人の長所短所もよく見ている、すごくいい味出してるキャラでした。

④「成果主義」の学校への風刺

「碧の仮面」と「藍の円盤」は、成果主義の教育を風刺しているのかなって思いました。

誰よりもいい点数・成績である人が「人間として優れているのか」と言う話です。

つい私たちも「テストで良い点数を取れる=優秀な人」と思いますよね。

ですが成果や成績と「人として魅力的なのか」とは別の話です。

というのも学校は、テストの点数で「他の子と競わせている」ところがあります。

それが「勝者と敗者」という関係を生み出す原因となります。

するとスグリのリーグ部のように、上下関係の支配を生み出してしまいます。

そして敗者の子は「劣等感」を抱き、その場に居づらくなります。

でも人は「点数・成績」以外でも、魅力的なモノを持った人がたくさんいます。

優しい子、明るい子、芸術にたけている子、自分の好きを貫き通す子…。

成果を出せなくても、魅力的な子ってたくさんいますよね。

でも「成果」だけで人を判断してしまったら、成果を出せない子は劣等感を抱きます。

「みんな長所短所があるけど、それが魅力的である」とカキツバタが思うような、

そんな学校があれば、もっと学校を好きになれる子たちが増えると私も思います。

自分らしくいられる、上下関係なく対等でいられる、安心できる場所が理想ですよね。

今の「学歴・成績」ばかり追い求める教育に物申す、いい作品だったなと思いました。

グレープアカデミーやブルーベリー学園みたいな学校なら、行きたいと思えますよね。

まとめ

正直に言うと「ゼロの秘宝」のテラパゴスについてはあんまりよくわかりませんでした。

(てらす池イベントから、たぶん「浦島太郎」をイメージしているのだと思いますが)

それでもオーガポンをめぐる話、ゼイユとスグリの成長物語はよくできており、

感情を揺さぶられましたし、まるで小説や映画を見たかのような感動を覚えました。

スグリが持つ悩み「劣等感」と「自分らしさを見失う体験」は誰でもありますし、

人に認められたい、人をうらやみ、人をねたんでしまう、そんな気持ちは誰でもあります。

だからついスグリに共感し、こんなにも感情を揺さぶられたのだと思います。

ですがカキツバタの言うように、

「こいつには短所もあるけど、こんな良い所もある」そんな自分らしさを大切にして、

「ゆるく楽しくいこうや」って感じで、勝ち負けにこだわらず人生を楽しむ。

それが「その人らしさを伸ばしていける」事につながるのだなって感じました。

その人らしさを伸ばせば、その人が持つ「魅力(輝き)」につながるわけですしね。

カエデ

クリア後は、ゼイユとスグリ姉弟に会えなくなってしまいますが、

2024/1/10配信のDLC番外編で、再び会うことができます!

ネモ・ボタン・ぺパー・ゼイユ・スグリという友達の繋がりができて、

終わった後は「良かったね」って気分になれますよ!

ポケモンSV碧の仮面考察!スグリはかわいそうなのか? この記事は「ゼロの秘宝」のネタバレが盛大に含まれます! 閲覧ありがとうございます。主婦のはつがカエデです。 ポケモンは...

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