閲覧ありがとうございます。主婦のはつがカエデです。
私は(多分)毒親育ちのアダルトチルドレンであり、
現在「不安・パニック障害」を抱えています。
「自分には価値がない」と感じることは、裏を返せば、
「誰が見ても認めるような結果を出せば、自分には価値がある」と言う思い込みでもあります。
ですが現実には「誰が見ても認めてもらえる」なんてことはありません。
上には上がいますし、いつでも評価されるとは限らないからです。
だからこそ他人に認められることで自分の価値を決める「他人軸の生き方」はとても危険です。
大切なのは周りと比べることをやめ、自分にできることを少しずつ積み重ねること。
「周りに認められたい」という承認欲求を捨てて、自分で自分を認めることです。
そうすれば少しずつ「無価値観」から解放されていきます。
もう、他人軸で生きるのはやめて、自分の人生を生きましょう。
▼この本が私の無価値観を改めさせてくれました、とても良い本です!
▼「生きているだけで意味がある」と思わせてくれた神ゲーです

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「生きている価値がない」と思ってしまう

私は自尊感情(自己肯定感)が低いです。
独身時代の私は「自分はミジンコ以下の存在」だと思ってました。
「何のために生きてるんだろう」「生きている意味なんてない」と感じることもありました。
独身当時は仕事もうまくいかず、恋愛(婚活)もうまくいかず、
「このままでは仕事も辞めざるを得ないし、結婚しないまま年老いてしまう」
「こんな人生なら長く生きたくない」など、最悪で不幸な未来の事ばかり考えていました。
今はそうでもないです。夫と結婚し娘も生まれたことで、
やっと「私は生きているだけで意味がある」と思えるようになってきました。
ですがこれも35年生きてきて、ようやく芽生えた感情です。
それまでは本当に「娘が生まれたら私の役目は終わり」と考えていました。
「私がいなくなっても、夫の両親が育ててくれる」とか思ってました。
なぜか「自分が生きていることに価値を感じられない」んですよね。
それに、今でも「自分自身にお金をかける」ことに抵抗があります。
服にも化粧にもほとんどお金をかけないので、夫はあきれ気味です。
それでも「自分のためにお金を使うこと」に罪悪感を感じてしまうのです…。
多分まだ「自分には(お金をかけるほどの)価値がない」って、思い込みがあるんだと思います。
昔ほどひどくはないですが、すぐには治らないですね。
アダルトチルドレンゆえの罪悪感
これまでたくさんの親子関係に関する心理本を読んできて、
「私の無価値観は、幼少期の親との関係が原因ではないか」と思うようになりました。

<父親の影響>
私の父は、妻や子供に対して「自分が上であること」を認めさせたがる人でした。
「自分が育ててやってるのだから、親に口答えすることは許さない」
そんな価値観を持ち、逆らえば強く怒鳴られました。
父親に逆らえないし、養ってもらっている以上、従うしかない。
幼いころからそういった「親に支配されている無力感」が染みついていました。
父親に褒めてもらった記憶はほとんどありません。
むしろ父親に「けなされる、バカにされる」ことが多かったです。
唯一褒められたのは、学年1位など目に見える成果を出した時くらい。
それでも「お、すごいな」と、ほんの一言だけでした。

<母親の影響>
母親は専業主婦で、父親には逆らえない立場でした。
食事・家事・育児に文句を言われても、ただ黙って耐えていました。
ですが、その不満のはけ口は私に向かいました。
ほぼ毎日、父親の愚痴を聞かされていたのです。
私は「母親のご機嫌取り係」「愚痴聞き係」と思いながら育ちました。
さらに母は、私の容姿についても否定的でした。
「あんたはブサイク」「何で私に似なかったの」「私の年のころはモテてたのに」など。
その影響で今でも、自分の顔を鏡で見ることに抵抗があります。
このような幼少期を過ごして大人になった場合、
次のような価値観が染みついてしまいます。
- 結果や成果を出せば褒めてもらえる=自分の価値がある
- (自分を犠牲にしてでも)誰かの役に立つことで、存在価値を見出せる
こうして「親に愛されるために、親の価値観に合わせて育った人」をアダルトチルドレンと言います。
アダルトチルドレンは「自分のために生きる事」が苦手です。
親が望む人間になり、親に合わせて自分の考えや価値観を変えてしまう。
しかし、そうやって作り上げた価値観は、普通の家庭で育った人々とは合いません。
その結果、人生がうまくいかず「自分には価値がない」と感じるようになります。
そして、自分のためではなく、「他人に認められるために」生きるようになってしまうのです。
教師からの体罰、同級生からのいじめなども経験し、
私は「自分には価値がない」という思いを、ますます強めていきました。
無価値観を手放したい・克服したい

今思い返すと「自分には価値がない」と思うこと自体が変だったなって思います。
赤ちゃんや、何も考えてない子供時代に「無価値観」なんてなかったはず。
それがいつの間にか、親や学校生活の中で「自分には価値がない」と思うようになっていました。
「結果を残せば認められる」という経験が、
「条件がないと価値を認めてもらえない」という思考につながった。
その結果「成果を出さなければ」「誰かに認められなければ」価値がないと思うようになったのです。
例えば、
- 稼ぎが少ない
- 育児中で稼げない
- 誰とも結婚できない
- 友達がいない
こうした「誰の目にも明らかな成果がない」とき、
人は強く「自分には価値がない」と感じやすいのではないでしょうか。
でも「自分の価値」って、本当に他人が決めるものなんでしょうか。
私は今、自分の価値を他人に決めさせてはいけないと思っています。
大切なのは「自分の価値を自分で認めること」。
「他人に認められたら価値がある」なんて、他人任せの考え方では、
いつまでたっても満たされません。
上には上がいるし、認められない時は「劣等感」や「無力感」に苦しむことになるからです。
だからこそ「結果を残さなきゃ」「誰かに認められなきゃ」価値がないという、
他人軸の考えを手放すことが大切です。
「周りと比べる」のをやめて、自分にできることを少しずつ積み上げる。
「認められたい」という承認欲求を捨てて、自分で自分を認める。
そうすればだんだんと、無価値観は手放せていけると私は思います。
どんな小さなことでもいいです。
「今日はこれができた、明日はこうしよう」
そうやって、自分のペースで前に進んで行きましょう。
自分の事を大切にできるのは「自分だけ」です。
これからは「自分らしさ」を大事にして生きていきましょう。
私の記事で気持ちがスッキリしなかった方は、下のブログをごらんください
(心理カウンセラーの方のブログです)
まとめ
「自分に無価値観を抱く」というのは、裏を返せば、
「誰が見ても認められるような結果を残せば、自分には価値がある」と言う思い込みです。
でも「誰が見ても認めてもらえる」なんて不可能な話です。
上には上がいますし、いつでも認めてもらえるとは限りません。
だからこそ「他人に認めてもらうことで(他人軸で)生きる」事はとても危険です。
大切なのは周りと比べることをやめて、自分にできることを少しずつ積み上げる。
「認められたい」承認欲求を捨てて、自分で自分の事を認める。
そうすれば無価値観は少しずつ手放せていけますよ。
自分の人生を生きるために、他人軸で生きるのはもうやめましょう。
自分の事を大切にできるのは「自分だけ」です。
これからは「自分らしさ」を大事にして生きていきましょう。
▼自分に無価値観を感じたら、この本を読んでみてください
私の記事で気持ちがスッキリしなかった方は、下のブログをごらんください
(心理カウンセラーの方のブログです)
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